吾輩は駒である。名はまだ無い。 いや、正確には「ミープル」などという西洋風の呼び名があるらしいが、吾輩自身は「駒」という響きをいたく気に入っている。背筋を伸ばし、盤上に立つその佇まいにこそ、遊びの魂が宿ると思っているからだ。
吾輩(駒)が来た日
吾輩がこの家にやってきたのは、ある肌寒い日のことだった。 「ついに届いたぞ。これが、かの有名な『カルカソンヌ』だ」 そう言って、青い箱を大事そうに抱えて帰ってきたのが、この家の主人――いわゆる「おじさん」である。
主人は、箱を開けるなり「おお、木製駒の手触りがたまらん……」などと、うっとりした声を漏らしていた。吾輩は色とりどりの仲間たちと共に、窮屈な袋から這い出し、初めてこの家の空気を吸った。
部屋を見渡せば、そこには一人の女学生がいた。主人の娘である彼女は、冷ややかな、しかしどこか興味津々な眼差しでこちらを覗き込んでいた。 「パパ、また新しいの買ったの? 似たようなの持ってるじゃん」 「まあ見ろ、これは『世界三大ボードゲーム』の一つに数えられる名作中の名作なんだ。これを知らずして人生を語るなかれ……」
主人はそこから、ドイツのゲーム大賞がどうだの、カタンやドミニオンと並んでどうだのと、聞かれもしない講釈を熱っぽく語りだした。娘さんは「はいはい、わかったから。話が長いよ」と心底呆れた様子で、スマホに目を戻そうとする。
だが、主人が不器用な手つきで四角いタイルを並べ始めると、彼女の動きが止まった。 「……へえ、このタイル、並べると地図になるんだ。パズルみたいで綺麗だね」 彼女はそう呟き、吾輩をそっと指先で突いた。 「それに、この駒。なんか丸っこくて可愛い」
草原が広がり、道が伸び、城壁が築かれていく。吾輩は、その完成間近の「城」の主として、主人の手によって厳かに配置された。主人の指先からは、緊張と、それ以上のワクワクした熱が伝わってくる。
「……思考は、娯楽か」 吾輩は、盤上から主人を見上げた。 確かに、どこに道を伸ばすか、どこで得点を確定させるか、あーだこーだと議論する親子の姿は、傍から見れば少々滑稽だが、実に楽しそうだ。 スマホの画面をタップするのとは違う、指先で駒を置き、相手と視線を交わす。そんな泥臭くて人間味のある時間が、そこには流れ始めていた。
どうやら、この主人はこの小さな盤上で、人生を豊かにしようと企んでいるらしい。 そして、その壮大な計画には、吾輩のような「駒」の力が必要なのだという。
やれやれ、これからは静かな箱の中というわけにはいかないらしい。 主人が三大ゲームの権威にこだわり、娘さんの鮮やかなタイル配置に手痛い逆転を許して頭を抱える日も、吾輩は一番近くで見守ることになるのだろう。
この「遊び場」には、まだ空席がある。 主人の思考をかき乱し、共にこの地図を広げてくれる「新たな駒(仲間)」が、どこかにいるはずだ。
吾輩はここで、じっと待っている。 主人の指が、運命のタイルを求めて吾輩を掴むその瞬間を。 それから、あなたという新しい仲間が、この遊び場の門を叩くその日を。
さて、最初の一手は、どちらの番かな?