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吾輩は駒である

ボードゲームとは?

目次

    吾輩は駒である。名前はまだない。

    どこで生まれたかと聞かれれば、ドイツの深い森の奥、インクの匂いが立ち込める工場の片隅……とでも答えておこうか。今はこうして、ある主人の書斎で静かに時を刻んでいる。

    主人の棚という名の小宇宙

    ふと見上げれば、そこには主人が心血を注いで築き上げた「ボードゲーム棚」が、まるで摩天楼のようにそびえ立っている。

    色鮮やかな箱、重厚な筆致で描かれた中世の騎士、あるいはモダンな幾何学模様。主人は時折、眼鏡の奥の目を細め、少しばかり突き出た腹をさすりながら、愛おしそうにそれらを眺めている。

    「今日はどれにしようか」

    独り言をこぼす主人の背中からは、隠しきれない浪漫が漂っている。あの棚の一箱一箱に、誰かが描いた夢と、緻密に計算された理屈が詰まっているのだと思うと、ただの木片である吾輩の身も、どこか誇らしく引き締まる思いがする。

    ボードゲーム、その境界線

    さて、主人が愛してやまない「ボードゲーム」とは、一体何者なのだろうか。

    厳密に言葉の端々を捉えるならば、それは「ボード(盤)」を広げて遊ぶものを指す。 したがって、手札の駆け引きに終始するカードゲームや、言葉を武器にするコミュニケーションゲームは、本来この定義からは少し外れた場所に位置している。古くは「盤上遊戯」、あるいは「テーブルゲーム」と呼ぶのが、この世界の礼儀というものかもしれない。

    だが、現代ではこれらを総称して「ボードゲーム」と呼ぶのが一般的である。 また、ボードゲームは大きな枠組みでは「アナログゲーム」というジャンルに分類される。これは、電気の波に乗って画面の向こう側で完結する「デジタルゲーム」の対になる分類だ。

    我らアナログゲームは「実体」を持つ。指先に伝わる木駒の質感、カードを捲る乾いた音、そして目の前の相手と交わされる視線。五感のすべてを使って「考える」という贅沢なエンターテインメントを楽しむこと。それが、デジタルには真似できない我らの矜持(プライド)である。

    なぜ「ボードゲーム」と呼ぶのか

    では、なぜ主人はこれらをひとまとめに「ボードゲーム」と呼びたがるのか。 定義がどうの、分類がどうのと理屈を並べることは容易いが、吾輩はもっと単純で、かつ本質的な理由があると考えている。

    それは、「ボードゲーム」という響きが、何よりも格好いいからだ。

    「これからボードゲームをしよう」

    その一言には、日常の喧騒を切り離し、一期一会の真剣勝負へと誘う特別な魔法が宿っている。盤上に広がる無限の戦略と、駒たちが織りなす物語。そのすべてを包み込む言葉として、これほど相応しいものはない。

    主人が今日も、娘に煽られ、悔しがり、それでも嬉しそうにダイスを振っている。その傍らで、吾輩は冷めかけた珈琲の香りに包まれながら、次なる出番を静かに待つとしよう。